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ヒロインになったバラ<7> ~プリンセス・ダイアナ~




 第7回は、ひきつづき現代ですが、残念ながら故人となったヒロインです。その名も、ダイアナ・フランセス・スペンサー、前のプリンセス・オブ・ウェールズです。

 皆様もよくご存じの、プリンセス・ダイアナは、前英国皇太子妃です。彼女の数奇な運命は、多くの雑誌やTVでさまざまな憶測とゴシップ、そして敬愛に彩られてきました。

 ダイアナは、スペンサー伯爵家(オールトラップ子爵も兼ねる)の令嬢として英国で生まれました。ヨーロッパの王室の妃は外国人であることも多いのですが、ダイアナは両親とも生粋の英国人でした。貴族出身ではありましたが、母の離婚など、幼少の頃より寂しい生活を送っていたようです。

 長じて、チャールズ皇太子の花嫁候補として、つきあいが始まりました。それ以前、チャールズ皇太子は、ダイアナの姉とも交際していたようです。このあたりは、同じく悲劇のオーストリア皇妃、エリザベートのようです(エリザベート皇妃も姉のほうがオーストリア皇帝と見合いの席で、同席していてみそめられました)。 
 交際は順調にいき、1981年に正式に結婚します。新しいプリンセス・オブ・ウェールズの誕生でした。さきごろ、息子であるウィリアム王子が結婚式をあげましたから、少し年配の方はプリンセス・ダイアナの結婚式も思いだされたかもしれません。
 結婚式での幸せそうな彼女の微笑みは、多くの人の心を和ませましたが、その結婚生活はそのときから不幸(チャールズ皇太子はそのときから、カミラ・パーカーボールズ夫人(現在はチャールズ皇太子妃で、コーウンウォール公爵夫人)と交際していたため)を内包していました。

 しばらくして、2人の王子にも恵まれ、理想の夫婦として見えていた2人ですが、次第にチャールズのカミラ夫人との不倫に若いダイアナも気づきます。そのころから、拒食症になるなど精神的にも肉体的にも厳しい状態が長く続きました。さらに、もともと質素で自然回帰志向な性格のチャールズ皇太子と、まだ若くファッショナブルで社交的な生活を好むダイアナの間には、生活習慣の違いなどもありました。
 不幸な結婚の裏で、対人地雷廃止運動やエイズ啓発活動などのボランティア活動や王室外交などに力を注いだダイアナですが、すれ違いは続き、多くのゴシップ記事に彩られながら、2人は1996年正式に離婚します。離婚時の発表で、彼女は「人々の心のプリンセスでありたい」と述べて、多くの人々の感動を呼びました。

 離婚後、エジプトの大富豪アルファイド氏と交際していたダイアナは、1997年パリでパパラッチに追われて交通事故で亡くなってしまいます。このニュースは世界中の人々を驚かせました。

 いずれにしろ、よい意味でも悪い意味でも、悲劇的な彼女の短い生涯は、多くの人の記憶に残ったことでしょう。特に英国では、「イングランドのバラ」と呼ばれ、彼女の遺体は実家のスペンサー家の池の小島で、静かに眠っています。


 さて、著名なダイアナ前妃は人気も高く、彼女に捧げられたバラは1つだけではありません。
 まずハイブリッドティーでピンク系のダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ。
 もう1つは、ハークネス社 プリンセス・オブ・ウェールズです。こちらは白のシュラブです。
 2つのバラは、それぞれダイアナ前皇太子妃のボランティア活動に敬意を表して、売上の一部を慈善団体に寄付されます。どちらかのバラを買うことで、社会に役立ちますので、ぜひ気に入られた方は購入して、庭に植えてみてはいかがでしょうか。


ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ


ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ

プリンセス・オブ・ウェールズ

プリンセス オブ ウェールズ; Princesse de Galles ; The Princess of Wales




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Create: 02/01/2012 Update: 02/26/2012